行きつけの個人の床屋は、大事な人生のパートナーで、大切にしたい、という話。
私は床屋さんに何も考えずに行ける。
これはすごく幸せなことじゃないかと最近思う。というのも、10分1000円の理容室ならば、なりたい髪型をある程度説明を求められる。従業員がたくさんいるし、入れ替わりも早い。
だが、10年以上行っている近所の個人の床屋さんなら、何も言わずとも普段の髪型にしてくる。
また、会話問題も同じ。10分1000円のお店は、会話がないことが多い。それは結構。しかしだ、妙にその間がつらいときがある。緊張するのである。肩がこる。カッチコチ。
その点、行きつけの床屋さんは、会話したくない時は、察してくれるし、会話したい時はそれに合わせてくれる。
昔、代々木(微妙)の美容室に行ったことがある。キレイなお姉さんがバリカンなしで、キレイに仕上げてくれて、最後はワックスで流れをキレイにしてくれた。その時の会話は、クッソみたいに中身のない会話。会話することに意味を見出したいとするような会話。
床屋さん。
「年末に、結婚式があるんです」
「明後日、転職のミーティングがあるんです」
「免許の更新は2週間後に行くんです」
私の言葉に反応してくれる。
私のライフイベントスペシャルなパートナーだ。毎月一定額を払う価値がある、と思わせる。見事すぎる。
さて、その床屋さんに行ってくる。
追記